2005年から2015年3月までのこくぶんじブログです。
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内田博司ノート http://kokubunjiblog.jugem.jp/
三月十一日午後二時四十六分、あれから四年目。この日だけは今でも神妙になる。あの時の光景が浮かぶからだ。散乱した本を掻き分けテレビにかじりついて夜を明かした。次々映し出される画面に釘付けになった。我が家も被災した。昨年ようやくリフオームは完了したが荷物の片付けはまだ終わらない。今日は一日テレビの前で被災地の姿を見ながら過ごした。復興は遅々として遅れている。避難者が全国にまだ二十三万人も散らばっているのに土地の整備だけでもまだ五年はかかるらしい。これでは帰るに帰れないと泣く泣く故郷に帰還断念を決意した人達が三割に達するという。残してきた家が泥棒に着物は盗まれイノシシやネズミに食糧は取られ柱はシロアリにやられ朽ちてゆくのに手も出せないでは生きてゆく気力が萎えてしまう。この被災者の苦悩と哀しみに対しては同情など申し訳なく万感やり場のない憤りしかない。
そんななかで政府主催の国立劇場で行われた追悼式で宮城県の十九歳菅原彩加さんの献辞に惹き付けられた。自宅で津波に襲われ母親を目の前にしながら助けられなかった自分を何度も責めながらも死んだ人達のために自分を役立てたいと決意する姿に涙が止まらない。人は思うとおりに生きている積もりでもヒヨットした弾みで運命が急転してしまう。その一寸した機微に人生は彩られてゆく。それが自然の人間の姿である。ことに人間を凌駕する巨大な力や権力に翻弄される小さな人間の姿にいつの世も熱い涙を注ぐ。どんなに劣悪な環境で生きていても、どんなに非情な状況に置かれていても挫けず、健気にひたむきに己を貫こうとしている人間に共感を忘れずその姿を愛おしむ気持ちは忘れたくないものだ。
2015.03.12
国分寺市の文化振興市民会議が企画する文化講座の三回目が二月二十一日本多公民館で開かれた。昨年は中央線も止まる程の大雪になったが熱心な参加者が数多く集まってくれた。それに力を貰って今回は会議のメンバーがフル稼働で準備に当たった。机まで用意したのでホールは五十人を超える人で埋まった。
城崎陽子講師も自家薬籠中の題材を余すところなく駆使して万葉の歌世界を披露した。まさに大学の講義そのままの気分を久し振りに味わった。市民が相手だからもう少し笑いを誘うような砕けた話しぶりもあったかと思うが参加者は威儀を正して話に聞き入っていた。こうした格調高い講座も時には良いと思った。何故なら市制五十周年のエポックとして祝賀ムードが多いなか原始を求めていにしえの昔に想いを馳せるのも一興である。
万葉集は舒明天皇から聖武天皇までの王朝文化が隆盛を極める前のほぼ四千五百首を載せた一大文学である。従って古今集他に名を残す歌人から読み人知らずの無名まで当時の人々の暮らしが偲ばれる歌ばかりである。
ことに我が国分寺市は往時を想い出す風景に事欠かない。西国分寺駅から府中街道に沿って崖線に連なる起伏は今でも想像に難くない。今回の巻十四の東歌は武蔵野の台地に咲き誇ったキク科の花々が今でも多摩川縁を散歩すればすぐ見つけられる。私が永年愛用している七百頁を越える野草事典に掲載されている歌を城ア氏が「花の色にでる想い」として特に注釈してくれたことは今回ことに忘れがたい思い出として記憶にとどめることが出来た。市民会議の新しい出発に相応しい催しであった。
2015.02.28
平成二十七年元旦のNHKは痛快な映画を放映した。題名は「ショーシャンクの空に」である。S・キングの原作をフランクダラボンが脚色監督した。地方銀行の副頭取が不倫をした妻と相手を殺した罪で終身刑となり服役する。無罪を主張したが認められなかった。司法が真犯人を取り逃がしている上に刑務所内も不法と暴力がはびこっている。刑務官は「あなたへ」の高倉健のようではなく自分の気分次第で服役者を痛めつけ決して人間扱いはしない。所長も所長で権力をカサにきて賄賂で業者を選定し蓄財を図っている。服役者も気の利いた調達屋が役人にワイロを使って楽な仕事に仲間を就役させて辛くて苦しい役務から逃れている。そんな地獄のような世界でも友情は生まれささやかな楽しみを作り出して人間の適応能力に目をみはらせる。
副頭取は或る日鬼刑務官がわずかな遺産を手にして税金が高いのを嘆いていることを耳にし、その脱税を手助けしてやった。噂は他の刑務所の役人にも達し野球の親善試合にかこつけて年末には税務申告に知恵を借りる役人で行列が出来る始末になった。それを聞いた所長は自らの執務室に副頭取の部屋を設け執事として賄賂で得た蓄財を他人名義の口座に振り込ませる仕事につかせる。
或る時、軽い刑で入ってきた服役者が仲間に副頭取の妻を殺した真犯人が別の刑務所で一緒になったことを聞いた、と告げる。仲間は早速副頭取に告げ副頭取は所長に真犯人逮捕を嘆願した。しかし所長は有能な脱税事務が頓挫するのを理由に、そんな話は当てにはならないと語り、逆に軽い犯罪者を脱獄を企てたとして射殺してしまう。
無実を証明できなくなった副頭取は遂に誰も不可能として考えもしなかった脱獄に成功する。その上、不正の帳簿を検察に送りつけて所長を自殺に追い込むと同時に自らが振り込んでいた所長の預金を全額各銀行を廻っては手にして余生をメキシコで悠々自適の暮らしを獲得してしまう。見終わってツイ風采の上がらぬ副頭取に喝采をしてしまう程の破天荒な作品であった。
これで見るとおり多くの人種が入り交じって暮らすアメリカ社会は複雑で、決して画に描いたような平等で民主的な国とは思えない。だからヒーローを渇望し神に願いを託すまだまだ途上の国であることをうかがわせる。翻ってわが日本をそのアメリカにさえ遠く及ばない国と見るか否かは見解の分かれるところであろう。そういえばポールニューマン、ロバートレッドフオードの二枚目が活躍する「ステイング」という素晴らしい映画もありました。これだけでも日本は及ばない。
2015.01.03
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